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159件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1993-10-15 第128回国会 衆議院 外務委員会 第1号

それからつながって、あれは一九六七年ですか、佐藤ジョンソン会談だとか、あるいは二年後の佐藤ニクソン会談ですか、こういったものにつながっていくわけですね。やはり考えてみたら、領土返還までに土俵についてからもう十年ぐらいの期間を経て、これは一つの歴史的な問題が解決されているのです。  

鈴木宗男

1992-05-12 第123回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号

私は、六二年のケネディ声明であるとか、あるいは六七年の佐藤ジョンソン会談であるとか、そういうものを受けた後のことについては問わないのですよ。といいますのは、復帰したのは七二年の五月十五日でございますけれども、いよいよ二十年目が来るわけですが、復帰をした後アメリカニクソン教書はこの復帰に対して、復帰は本意でなかった、しかし力関係が変わったんだ、こう言っているのです、外交教書では。

川崎寛治

1992-05-12 第123回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号

後ほど触れますが佐藤ジョンソン会談というのもありますね。このケネディ声明ではこう言っているのですよ。「将来沖縄が日本施政権下復帰することになる場合、それに伴う摩擦を最小限にするため、私はいくつかの特定措置をとるよう指令した」これを受けて、それならば本土では年金は既に昭和二十九年、五四年から始まっておる、復帰するならば当然そこに摩擦が出てくることは明らかなんです。

川崎寛治

1992-05-12 第123回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号

佐藤ジョンソン会談が六七年の十一月ですよね。私はこの後も、当時この問題は予算委員会の第一巡で成田さんと一緒にやったことを記憶するのでありますけれども、本土との間の差別をなくすようにせい、摩擦を少なくせいというのであれば本土の制度につなげていくことをやらなければいかぬわけです。やっていないのですよ。

川崎寛治

1990-06-05 第118回国会 参議院 予算委員会 第18号

日米医学協力計画というのがずっとあって、佐藤ジョンソン会談で合意されたと言われておるわけでありますが、これ以降日本研究者大学や厚生省の研究所はしきりにアメリカの軍と共同研究をやる。研究者向こうに配置する。医学会総会でもこのウイルスの研究が報告をされる。これは軍と研究者、軍と大学との癒着を示すものである。断じて日本ではとってはならない政策なのであります。  

矢田部理

1974-05-07 第72回国会 参議院 農林水産委員会 第20号

昭和四十四年、海洋開発に関する佐藤ジョンソン会談が行なわれたことにその端を発しておるとわれわれは見ておる。しかし、アメリカ海洋開発は鯨やイルカ等軍事目的に使うというような面もあると専門家は言っておりますが、私どもちょっとよくわからないのですけれども。鯨でも、イルカでもたいへん頭がよくて、電波その他のキャッチできないような不思議な頭脳構成を持っておって、これを軍事目的に使い得るのだという話だ。

足鹿覺

1973-06-27 第71回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第20号

この間の経緯につきましては、いろいろあるのでございますけれども、本日は時間もございませんのでそれは省略させていただきまして、特にその中でも、近年海洋に関する関心が強まってきた一つの契機になりましたのは、一九六七年十一月に行なわれました佐藤ジョンソン会談共同コミュニケが出されまして、この共同コミュニケの中で、増大する世界の人口のための食糧源として、また鉱物源として、海洋開発の分野で日米協力を進めるという

川崎健

1972-04-17 第68回国会 衆議院 外務委員会内閣委員会連合審査会 第1号

ジョンソン会談等が行なわれている。そこでここに明確になっておりますのは、「BLFを創設し、日本の港を自由に使用させる。日米安保条約を長期間延長する。以上のことに日本政府が合意すれば、その代償に沖繩施政権を返還しても、アメリカにとって、安全保障の面で公正な取引きとなろう。」ここまで明確にしているのですね。いいですか。

大出俊

1971-12-16 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会 第7号

山中長官もおられるから伺いたいのだが、日本は、よその国に押えつけられて、無理に引きずられて、われわれと一緒講和復交独立国に戻り得ないで、アメリカ軍の下に入っていた国の同胞が気の毒なばっかりに、施政権向こうが持っている国に、日本は一番初めは昭和二十七年講和条約の年でしたと思うのですが、文部省関係で二百十三万円くらいの金をまず第一回送って、それから逐次池田ケネディ会談とかあるいは第一回佐藤ジョンソン会談

森元治郎

1971-12-15 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会 第6号

その意味を、これは私がかってに解釈しちゃいけないのですけれども、同じ一九六五年のその年のうちの一月の十三日と十四日、佐藤ジョンソン会談共同声明の中で、一点私の目にとまるのは、「沖繩及び小笠原諸島における米軍軍事施設が極東の安全のために重要であると認めた」、「重要であると認めた」という背後のところで、同じ年にベトナムの北爆が開始されているという関連がございまして、そしてまた、沖繩には同じ年の七月

鈴木美枝子

1971-12-04 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第10号

上原議員 本来であるならば成規手続、いわゆる土地収用法とか地位協定に基づく特別措置法手続を踏むべきだ、施政権が異なっているからできないとおっしゃっているわけですが、復帰準備、六七年の佐藤ジョンソン会談から一体化論をぶちあげて、ことばだけを先行させて一体化政策も何も準備をしてきていない。そこに大きな問題があるのじゃないですか。やろうと思えばできたんだ、この法律の手続によって。

上原康助

1971-05-15 第65回国会 衆議院 外務委員会沖縄及び北方問題に関する特別委員会連合審査会 第1号

来日米会談のおもな経過をたどってみましても、一九六一年六月の池田ケネディ会談、一九六五年一月の佐藤ジョンソン会談一九六七年十一月の佐藤ジョンソン会談一九六九年十一月の佐藤ニクソン会談という長い経過を経まして、ここにいよいよ大詰めを迎えようとしておるのであります。

西銘順治

1971-05-10 第65回国会 衆議院 決算委員会 第14号

華山委員 次に、私も理事でたいへん責任があるのですけれども、理事のほうから御注意もありましたので、ちょっと外務大臣に伺いますけれども、今度沖繩返還について、日米協定、これは条約になりますかどうですかわかりませんが、結ばれるわけでありますけれども、これにつきまして、佐藤ジョンソン会談におけるところの外務大臣説明と、それから国務次官アメリカ新聞記者に対する説明が同じ日に行なわれたわけでありますが

華山親義

1970-09-29 第63回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第3号

六五年の一月十三日の第一回佐藤ジョンソン会談で、外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約の再確認というものを一歩進めて、核兵器でもやるということを明らかにしたと理解すべきでありますけれども、この場合、まさしく日本の自衛隊が核武装をしないということを、私は再三にわたって確認をしておりますけれども、日本核武装をしないとしても、一体いわゆる非核三原則ということの中で、つくらない

上田哲

1970-05-12 第63回国会 参議院 内閣委員会 第17号

中尾辰義君 それでは私は、この自主防衛につきましていまも御質問がございましたけれども、これは一昨年の佐藤ジョンソン会談以来ですか、日本の守りはわれわれの手でやらなければいけない、こういう佐藤総理自主防衛というかけ声でだんだんだんだん防衛力強化をされてきたわけであります。そしてこの第三次防衛計画では航空機や誘導兵器国産化までできるようになった。

中尾辰義

1970-05-08 第63回国会 衆議院 外務委員会 第15号

これはたびたび委員会でも申し上げましたから、一々朗読等をすることは差し控えたいと思いますけれども、そういう意味におきまして三十七年の佐藤ジョンソン会談あるいは先般の佐藤ニクソン会談、この考え方については何らの変更はございません。  それから、ジョンソン・ブリーフィングというものが御質疑の中に出てまいりましたが、これは私の共同声明発表の直後における説明とは、全然性質の異なるものであると思います。

愛知揆一

1970-04-24 第63回国会 衆議院 内閣委員会 第19号

しかしながら中国脅威である、こういうことを佐藤ジョンソン会談の中である意味では確認をされ、それを受けて昨日総理も、あらためて中国脅威ということについて若干お触れになりました。私どもは、やはり脅威の存するところは脅威の存するところとして確認をしたということは、これは従来の防衛問題についての国会の論争の中で、やはり一歩の前進じゃないかと私は思うのです。

木原実